ソファに座って笑顔を見せる代表の房原

すべての人に
フィットした生活を

代表あいさつ

01.ご挨拶

代表の房原と申します。
私自身が看護師でもあります。

令和3年4月、新型コロナ流行の最中で、会社設立と同時に、訪問看護ステーションを立ち上げました。自分を含めて看護師3名でスタートした弊社も、令和8年11月には訪問スタッフ26名・事務4名となり、累計600名を超える利用者さんとのご縁をいただきました。弊社を支援してくださる方に恵まれ、弊社の理念・実際の仕事ぶりを評価していただける利用者さんおよび医療・介護・福祉関係者の方々、そして真摯に看護・リハビリに取り組む弊社スタッフの皆に支えられています。この場をお借りして御礼申し上げます。

弊社はどこかの医療機関や法人に属しているわけではなく、完全に独立した形で運営を行っています。もちろんどこかに属していることが悪いわけではありませんが、どこにも忖度せず、どこかの医療機関と優先的にお付き合いする必要もなく、1つのケースごとに利用者さんに合ったサービスを提供できることにつながっているのだろうと思います。

弊社では創業以来、『すべての人にフィットした生活を~0歳から看取りまで~』という理念を掲げています。簡単に達成できるものではありませんし、達成できたと思った瞬間には次の課題が生まれます。また、一人ひとりの人生や時代によっても価値観は変わります。とても難しい理念を掲げているとは思っていますが、だからこそ意味のある理念とも思っています。

02.すべての人にフィットした生活を

私たちの理念

すべての人に
フィットした生活を

~0歳から看取りまで~

在宅医療・訪問看護では、一人ひとりの価値観を尊重して生活を支えることが非常に重要です。そのやり方には正解が無いと言えますし、一方でたくさんの正解があるとも言えます。なぜなら、同じ人生経験をして同じ価値観を持つ人はいないため、仮に利用者さんが抱える病名・状態が同じでも、人によって支援の内容は違ってきます。利用者さんや家族が大切にしている価値観を支援者も一緒に大切にすることで“フィットした生活”を支える、そんな理念を掲げています。

昨今では、〇〇特化や〇〇専門と謳う訪問看護ステーションがたくさんあります。それ自体は悪いことではないと考えていますが、実際の訪問現場では、精神疾患を有する方が骨折したり、がんや神経難病を患う方が精神疾患を発症したり、小児訪問で伺っている家庭の祖父母にも支援が必要だったり、医療的処置を必要とする子ども(医療的ケア児)に発達支援も必要だったり、変形性関節症でリハビリをする患者ががんを患ったりと、本当にさまざまなケースがあります。また、より高齢化が進むことで複数の疾患を抱えて生活する方は全く珍しくなくなりました。私たちはこのような多くのケースを経験するなかで、創業時から病名や状態を問わずにご依頼を受けています。訪問看護・在宅医療の場は、いわば「在宅科」であろうと考えているからです。

訪問看護・在宅医療の場は、
いわば「在宅科」である。

例えば、弊社の利用者さんには小児(子ども)もたくさんみえます。この領域では、数年前より“移行期支援”がクローズアップされています。移行期支援とは、小児期に発症した慢性疾患などを持つ児が成人するにつれて、必要な医療や支援を途切れさせないように小児科から成人の診療科へとスムーズに引き継ぐ取り組みのことを言います。しかし、小児から成人になる段階でその方の人生がリセットされるわけではありません。私たちは、「小児」や「成人」として支援を分けるのではなく、“その方”を支援していく形を大切にしています。

在宅での看護・リハビリは、利用者・家族の方々と訪問スタッフの人間関係をベースとして、一人ひとりのニーズに応じたものを提供します。なおニーズには「〇〇がしたい」という顕在的なものだけではなく、潜在的なものもあります。潜在的なものは本人も気付いていないことが多く、これを汲み取るには「この方にとっての当たり前=常識」が何であるかを知らなくてはなりません。例えば友人と話すなかでも、意外に他人は自分とは違った「常識」を持っていると感じたことはありませんか? 私も含め、人はこういう「常識」をたくさん持っています。その常識が、いつの日か「価値観」となっていくのだと、私は考えています。そして私たち支援者は、このような価値観を支える仕事だと思うのです。

また、それぞれの機関にはそれぞれの機能・役割があります。例えば急性期病院なら、受診理由となった症状・病気を“治す・改善する”ことが目的なので、同じ病名や状態の方には一定の看護が提供されます。しかし、在宅は“生活する場”ですので、「なぜその方に看護・リハビリを提供するのか」「提供されている看護・リハビリの方針はそれで良いのか」を深く考察する必要があり、同じ病名や状態でも全く異なる看護・リハビリが提供されます。そのためには、本人の性格・家族構成・ライフヒストリー・経済状況・趣味・仕事などの様々な要素を考慮していく必要があるのです。こういうと難しそうと思われるかもしれませんが、看護師やリハビリ職の多くは、「人の役に立ちたい」という内発的な動機づけがあるのではないでしょうか。「人の役に立ちたい」を、それぞれの専門知識や技術を活かしながら支援することが、看護・リハビリの原点であり、醍醐味なのだろうと思います。

03.元サラリーマンから看護学生へ

もともと、私は大学卒業後に医療とは全く縁のない会社でサラリーマンをしていました。その頃、祖父が肺がんで亡くなったのですが、「肺は胸にある臓器」「がんは治らない病気らしい」ということ以外、医療のことは全くの無知でした。例えば、消化器と呼吸器の違いは分からず、循環器にいたっては意味の想像すらできない(というか聞いたことない)レベルだったのです。自分の無知さを痛感した出来事でした。

また同時に、「ヒトはいつか全員亡くなるし、現代日本で生まれてから死ぬまでに医療に一度も関わらない人生は無い」という当たり前のことを実感し、「医療の知識は人生を左右する重要な知識だ」と思いました。そこで、医療を知るためには自分が就くのが手っ取り早いと考え、看護師になることを決めました(短絡的ですね・・・)。当時、無知すぎて医療職といえば医師と看護師しか知らなかったので、医師にはなれないと思うから看護師になろう、という安直な理由でした。

医療の知識は、
人生を左右する重要な知識だ。

社会人選抜という入試方法で、運よく浜松医科大学の看護学科に合格しました。センター試験(当時)を受けていたら絶対に落ちていましたね(笑)同級生から「じぃじ」と呼ばれながら、基礎の基礎から勉強し直して何とか進級できました。

学生時代で一番の記憶は、2年生のときに東日本大震災があったことです。片道12時間を運転して、何度も福島・宮城・岩手に足を運びました。体力以外に何の取り柄もない学生なので、とにかくお金をかけずに移動・宿泊して、泥かきや片付けばかりを手伝いました。その時に得られた仲間とは、学内外を問わず今でも付き合いがありますし、設立に少しだけ関わった浜松医大の災害支援サークル「Luce(ルーチェ)」は今でも活動していると聞いています。

04.病棟看護師から訪問看護師へ

  1. 大学卒業後一般企業でサラリーマンとして勤務
  2. 社会人選抜浜松医科大学 看護学科に入学
  3. 卒業後飛騨高山の総合病院で外科系・内科系病棟を経験
  4. 名古屋訪問看護に従事。3年間で7000件超を訪問
  5. 令和3年4月会社設立と同時に、浜松でフィット訪問看護ステーション蒲を開業

卒業後は、岐阜県の飛騨高山にある総合病院に就職しました。仕事ができないくせに生意気でしたから、よく叱られましたね(笑)

サラリーマンから看護師になったためか、当時から「医療は人生を豊かにするための“道具”だ」と思っていました。そして病棟で働くうちに、自分は「病気を治す“治療”よりも、その人の“生活”そのものを支えること」に関心があることを再認識し、訪問看護師の道に進もうと思いました。そのことを上司に相談したら、今のうちに幅広くいろいろ見ておけと、外科系から内科系の病棟に異動させてくれ、さまざまな経験を積むことが出来ました。本当に、当時の師長や看護部には頭が上がりません。

医療は、人生を豊かにするための
“道具”だ。
利用者さんと笑顔で手を振る訪問看護師時代の房原

その後、名古屋にて訪問看護に従事しました。訪問看護の世界は本当に幅が広く、いろいろな経験をすることができました。足の踏み場がなく今にも左右に積み上げた荷物が崩れそうな部屋から、びっくりするような豪邸まで、3年間で7000件を超える訪問を行いました。主に高齢者を訪問していましたので、最期を看取った方も数え切れません。お一人お一人にいろいろな物語がありました。

病院では患者さんが“外の人”ですが、訪問の現場では私たち看護師が“外の人”です。入院中は我慢される方も、家での療養では嫌なことは嫌とハッキリ申されます。「喜怒哀楽のすべての感情が、入院中の10倍は発揮される」、そんな印象です。訪問看護師としての原点は、この名古屋時代にありますね。

その後、妻がこちらの出身ということもあり、戻ってきたいとは言っていましたが、本当に戻ることになりました。

05.今とこれから

子どもを抱っこして笑い合う房原

普通のサラリーマンが看護師になり、普通の看護師が起業をして、今に至ります。もちろん経営をしたことが無かったため、右往左往する日々でした(今もですが)。管理者としての経験も無かったため、スタッフに迷惑をかけてきました(今もですが)。おそらく、これからも山あり谷ありだと想像しています。しかし時間は戻すことができません。後戻りすることなく、後悔のない人生を送りたいと思っています。

後戻りすることなく、
後悔のない人生を。

さて、訪問看護ステーションも医療機関です。医療機関が「株式会社」であることへのご質問を受けますが、株式会社であることは、むしろ自由度が高まります。また、法人税をはじめとしてたくさんの税金を納めることで、地域への医療・介護・福祉の源を提供している自負もあります。つまり、株式会社で運営していること自体が、地域貢献への1つの形であると思っていますので、これからも続けていきたいと思っています。

最後に…

つらつらと書いてしまいました。

浜松地域は本当に良いところだと思います。気候は穏やかで、ここに暮らすみなさんの人柄も温和で、永く共に時を過ごしていきたいと思う土地柄です。訪問看護という仕事を通して浜松地域の役に立てるよう、引き続き力を尽くして参ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

株式会社fit 代表取締役
房原

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