代表紹介

訪問看護ステーション設立

代表の房原と申します。私自身が看護師でもあります。

もともと岐阜の生まれですが、看護学校時代を浜松で過ごしました。卒業時、帰ってきたいと思っていましたが、妻がこちらの出身ということもあり、本当に戻ることになりました。

2021年、コロナウイルス蔓延の真っただ中に、どこの医療機関や法人にも属さない独立型の訪問看護ステーションを立ち上げることにしました。

独立型なのは、何かに忖度することなく、必要な方に必要な訪問看護を届けることができると考えたからです。

開業当初は利用者0人、本当にどうなることかと思いましたが、2年経つ頃には月々の利用者数は120人を超え、累計契約者数は200人に達しました。

訪問看護は「やりたい看護をする」のではなく、「求められる看護をする」ものです。

例えば急性期病院は“治す・改善する”ことが主な目的ですので、同じ病名や状態の方には一定の看護が提供されます。しかし、在宅医療・訪問看護では本人の性格・家族構成・ライフヒストリー・経済状況・趣味・仕事などの様々な違いを受けて、同じ病名や状態でも全く異なる看護が提供されます。

そのため、在宅医療・訪問看護には正解が無いと言えますし、一方でたくさんの正解があるとも言えます。

利用者さんのこと見ることはとても大切なことですが、それ以上に、利用者さんがどんな価値観を持ち、何を考えて、どうしたいか、そのためにはどうすれば良いのか、同じ目線で同じものを見るという“伴走”型の支援を、フィットでは大切にしています。

「求められる看護をする」一環として、乳幼児や学童といった、いわゆる小児訪問看護も行っており、訪問全体の15%ほどを占めています。浜松地域ではまだまだ小児訪問看護を行う事業所が少なく、「求められる看護をする」ためには避けて通れません。

小児訪問看護を敬遠される看護師・リハビリ職の方もみえますが、本当に大切なことは高齢者への訪問看護と全く同じで「利用者・家族の役に立つ看護を提供する」ことです。初めから経験値のある看護師・リハビリ職はいませんので、利用者・家族と一緒に真摯に向き合えることが、最も必要なスキルなのだろうと思います。

今後の展望

開業以来、おかげさまでたくさんのご支持を得ることができました。

今後も、たゆまぬ努力にて精進させていただきます。

その中で、さらに浜松地域のお役に立てるように、訪問看護を広げていきたいと考えています。

訪問看護を広げるためには、たくさんの看護師やリハビリ職が働きやすい環境を整える必要があります。

例えば、私は妻と2人の子と暮らしています。子どもたちはとても可愛いのですが、正直いって子育てがこんなに大変だとは思っていませんでした。女性が多くを占める看護師・リハビリ職の世界で、子育てと両立できる働き方を提供するのがいかに難しく、また大切かと実感したのです。

フィットは開業したての零細企業ながら、すでに産休・育休の実績があります。これを継続していくつもりです。

一方で、バリバリと働いてキャリアアップ・スキルアップを目指したい方にも門戸を開いています。利用者さんへの貢献=地域への貢献=会社への貢献であり、病名や状態を問わずに受け入れをしているフィットでの経験は貴重なものとなるはずです。

たくさんの看護師やリハビリ職が働ける環境を整えることが、即ち利用者さんの生活を支えることにつながり、さらに浜松地域を支えることにつながると考えています。このあたりは医療職特有の感覚かもしれませんが、医療職が働きやすい環境は医療職自身が整えるのが近道だと思っており、私自身が看護師であることが大きなメリットになるのではないかと考えています。

元サラリーマンから看護師へ

もともと、私は大学卒業後に医療とは全く縁のない会社でサラリーマンをしていました。

その頃、祖父が肺がんで亡くなったのですが、「肺は胸にある臓器」「がんは治らない病気らしい」ということ以外、何も分かりませんでした。例えば、消化器と呼吸器の違いは分からず、循環器にいたっては意味の想像すらできないレベルです。

しかし一方で、「ヒトは全て亡くなるし、生まれてから死ぬまでに医療に一度も関わらない人生は無い」という当たり前のことをはじめて実感し、同時に「医療の知識は人生を左右する重要な知識だ」と思いました。そこで、医療を知るためには自分が就くのが手っ取り早いと考え、看護師になることを決めました。

当時、医療職といえば医師と看護師しか知らなかったので、医師にはなれないと思うから看護師にという安直な理由でした。

社会人選抜という入試方法で、運よく浜松医科大学の看護学科に合格しました。センター試験(当時)を受けていたら絶対に落ちていましたね(笑)同級生から「じぃじ」と呼ばれながら、基礎の基礎から勉強し直して何とか進級できました。

学生時代で一番の記憶は、2年生のときに東日本大震災があったことです。片道12時間を運転して、何度も福島・宮城・岩手に足を運びました。体力以外に何の取り柄もない学生なので、とにかくお金をかけずに移動・宿泊して、泥かきや片付けばかりを手伝いました。

その時に得られた仲間とは、学内外を問わず今でも付き合いがありますし、設立に少しだけ関わった浜松医大の災害支援サークル「Luce(ルーチェ)」は今でも活動していると聞いています。

病棟看護師から訪問看護師へ

浜松医大卒業後は、岐阜県の飛騨高山にある総合病院に就職しました。

仕事ができないくせに生意気でしたから、よく叱られましたね(笑)

サラリーマンから看護師になったためか、当時から「医療は人生を豊かにするための“道具”だ」と思っていました。

そして病棟で働くうちに、自分は「病気を治す“治療”よりも、その人の“生活”そのものを支えること」に関心があることを再認識し、訪問看護師の道に進もうと思いました。

そのことを上司に相談したら、今のうちに幅広くいろいろ見ておけと、外科系から内科系の病棟に異動させてくれ、さまざまな経験を積むことが出来ました。本当に、当時の師長や看護部には頭が上がりません。

その後、愛知県の名古屋市にて訪問看護に従事しました。

訪問看護の世界は本当に幅が広く、いろいろな経験をすることができました。

足の踏み場がなく今にも左右に積み上げた荷物が崩れそうな部屋から、びっくりするような豪邸まで、3年間で7000件を超える訪問を行いました。

主に高齢者を訪問していましたので、最期を看取った方も数え切れません。お一人お一人にいろいろな物語がありました。

病院では患者さんが”外の人”ですが、訪問の現場では私たち看護師が”外の人”です。入院中は我慢される方も、家での療養では嫌なことは嫌とハッキリ申されます。

「喜怒哀楽のすべての感情が、入院中の10倍は発揮される」、そんな印象です。訪問看護師としての原点は、この名古屋時代にありますね。

最後に…

つらつらと書いてしまいました。浜松地域は本当に良いところだと思います。

気候は穏やかで、ここに暮らすみなさんの人柄も温和で、永く共に時を過ごしていきたいと思う土地柄です。

訪問看護という仕事を通して浜松地域の役に立てるよう、引き続き力を尽くして参ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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