ご挨拶
代表の房原と申します。私自身が看護師でもあります。
2021年、新型コロナが流行を見せているその真っ最中の時期に、この浜松で訪問看護ステーションを立ち上げました。弊社はどこかの医療機関や法人に属するものではなく、必要な方に必要な訪問看護を忖度なく提供できるように完全独立型として設立しています。
医療機関が「株式会社」であることへのご質問を受けますが、株式会社であることでむしろ自由度が高まります。また、法人税をはじめとしてたくさんの税金を納めることで、地域への医療・介護・福祉の源を提供しています。つまり、私は株式会社という形式を取ることが、地域貢献への1つの形であると思っています。
開業当初は知名度ゼロの会社であり、利用者ゼロ、関係機関ゼロから始まりました。しかし弊社を支援してくださる方に恵まれ、弊社の理念・実際の仕事ぶりを評価していただける利用者さんおよび医療・介護・福祉関係者の方々、そして真摯に看護・リハビリに取り組む弊社スタッフの皆に支えられ、開業から2年で延べ200名、3年で延べ350名を超える利用者さんとのご縁をいただきました。
在宅での看護・リハビリは、利用者・家族の方々と訪問スタッフの人間関係をベースとして、一人ひとりのニーズに応じたものを提供します。なおニーズとは「〇〇がしたい」という顕在的なものだけではなく、本人自身が気付いていない潜在的なものもありますね。潜在的なニーズを汲み上げるためには、やはり「看護師さん」ではなく「●●さん」と名前で呼ばれるような個人×個人の関係性が非常に大切です。
病院にはそれぞれの機能があり、例えば急性期なら受診理由となった変化を“治す・改善する”ことが目的ですので、同じ病名や状態の方には一定の看護が提供されます。しかし、在宅では本人の性格・家族構成・ライフヒストリー・経済状況・趣味・仕事などの様々な影響が絡み合います。また、そもそも在宅とは“生活する場”ですので、「なぜその方に看護・リハビリを提供するのか」「提供されている看護・リハビリの方針はそれで良いのか」を深く考察する必要があり、同じ病名や状態でも全く異なる看護が提供されるのです。
こういうと難しそうと思われるかもしれませんが、看護師やリハビリ職の有資格者の多くは、「人の役に立ちたい」という内発的な動機づけがあるのではないでしょうか。「人の役に立ちたい」を、それぞれの専門知識や技術を活かしながら支援することが、看護・リハビリの原点であり、醍醐味なのだろうと思います。
元サラリーマンから看護師へ
もともと、私は大学卒業後に医療とは全く縁のない会社でサラリーマンをしていました。その頃、祖父が肺がんで亡くなったのですが、「肺は胸にある臓器」「がんは治らない病気らしい」ということ以外、医療のことは無知すぎました。例えば、消化器と呼吸器の違いは分からず、循環器にいたっては意味の想像すらできないレベルだったのです。
しかし一方で、「ヒトはいつか全員亡くなるし、生まれてから死ぬまでに医療に一度も関わらない人生は無い」という当たり前のことをはじめて実感し、同時に「医療の知識は人生を左右する重要な知識だ」と思いました。そこで、医療を知るためには自分が就くのが手っ取り早いと考え、看護師になることを決めました。当時、医療職といえば医師と看護師しか知らなかったので、医師にはなれないと思うから看護師にという安直な理由でした。
社会人選抜という入試方法で、運よく浜松医科大学の看護学科に合格しました。センター試験(当時)を受けていたら絶対に落ちていましたね(笑)同級生から「じぃじ」と呼ばれながら、基礎の基礎から勉強し直して何とか進級できました。
学生時代で一番の記憶は、2年生のときに東日本大震災があったことです。片道12時間を運転して、何度も福島・宮城・岩手に足を運びました。体力以外に何の取り柄もない学生なので、とにかくお金をかけずに移動・宿泊して、泥かきや片付けばかりを手伝いました。その時に得られた仲間とは、学内外を問わず今でも付き合いがありますし、設立に少しだけ関わった浜松医大の災害支援サークル「Luce(ルーチェ)」は今でも活動していると聞いています。
病棟看護師から訪問看護師へ
卒業後は、岐阜県の飛騨高山にある総合病院に就職しました。仕事ができないくせに生意気でしたから、よく叱られましたね(笑)
サラリーマンから看護師になったためか、当時から「医療は人生を豊かにするための“道具”だ」と思っていました。そして病棟で働くうちに、自分は「病気を治す“治療”よりも、その人の“生活”そのものを支えること」に関心があることを再認識し、訪問看護師の道に進もうと思いました。そのことを上司に相談したら、今のうちに幅広くいろいろ見ておけと、外科系から内科系の病棟に異動させてくれ、さまざまな経験を積むことが出来ました。本当に、当時の師長や看護部には頭が上がりません。
その後、名古屋にて訪問看護に従事しました。訪問看護の世界は本当に幅が広く、いろいろな経験をすることができました。足の踏み場がなく今にも左右に積み上げた荷物が崩れそうな部屋から、びっくりするような豪邸まで、3年間で7000件を超える訪問を行いました。主に高齢者を訪問していましたので、最期を看取った方も数え切れません。お一人お一人にいろいろな物語がありました。
病院では患者さんが”外の人”ですが、訪問の現場では私たち看護師が”外の人”です。入院中は我慢される方も、家での療養では嫌なことは嫌とハッキリ申されます。「喜怒哀楽のすべての感情が、入院中の10倍は発揮される」、そんな印象です。訪問看護師としての原点は、この名古屋時代にありますね。
その後、妻がこちらの出身ということもあり、戻ってきたいとは言っていましたが、本当に戻ることになりました。
すべての人にフィットした生活を
在宅医療・訪問看護では、一人ひとりのニーズを大切にして生活を支えることが大切で、そのやり方には正解が無いと言えますし、一方でたくさんの正解があるとも言えます。これを受けて、弊社では「すべての人にフィットした生活を」を理念として活動しています。
同じ人生経験をして同じ価値観を持つ人はいません。そのため、仮に同じ病名・状態であっても、支援の内容は違ってくるのです。対象者が大切にしている価値観を支援者も大切にすることで“フィットした生活”を支える、そんな理念を掲げています。
“すべての人”を対象にしているため、弊社の利用者さんには小児(子ども)もたくさんみえます。昨今の諸情勢により小児の訪問看護件数は増えています。しかし一方で浜松地域ではまだまだ小児訪問看護を行う事業所が少なく、重要な地域貢献の1つともいえます。
昨今では、〇〇特化や〇〇専門と謳う訪問看護ステーションが増えています。それ自体は悪いことではないと考えていますが、実際の訪問現場では精神疾患を有する方が骨折したり、逆に慢性疾患を有する方が精神疾患を発症したり、小児訪問で伺っている家庭の祖父母にも支援が必要だったり、医療的処置を必要とする子ども(医療的ケア児)に発達支援も必要だったり、在宅リハビリをする神経難病患者ががんを患ったりと、本当にさまざまなケースがあります。また、より高齢化が進むことで複数の疾患を抱えて生活する方は全く珍しくなくなりました。そんな中で、「フィットした生活」の支援をするために、弊社では訪問看護が担う全領域を対象としています。
最後に…
つらつらと書いてしまいました。
浜松地域は本当に良いところだと思います。気候は穏やかで、ここに暮らすみなさんの人柄も温和で、永く共に時を過ごしていきたいと思う土地柄です。訪問看護という仕事を通して浜松地域の役に立てるよう、引き続き力を尽くして参ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。